ブログ一覧

ソースかつ丼聖地巡礼の旅

ソースかつ丼の4大聖地は群馬県の桐生、福島県の会津、福井県の福井、長野県の駒ヶ根と私は思っている。いやそれは常識に近いかもしれない。その4大聖地を巡る3泊3日の旅を友人たちとしてきた。3日間で1380kmを走って、食事は全てソースかつ丼で、6食を食べてきた。その結果、4大聖地のソースかつ丼の共通点と相違点が浮き彫りになった。そして本日その旅行記を公開した。旅行記の中でも触れているが、写真は会津の「とん亭」のソースかつ丼で、肉はなんと馬肉を使っているという珍しい(おそらく日本でここだけ)ものになる。

2024年12月04日

ウズベキスタンに行ってきた⑦

ウズベキスタンのサマルカンドにある「シャーヒズィンダ廟群」に行ってきた。ここは廟の集まりで、この廟群は11世紀頃から19世紀までの間に作られて、現在では20以上の廟の集合体になっている。この廟群に行けば様々な年代の様々な廟に出会える。廟の中も様々でポツンと墓石があるものや、豪華な内装の廟もある。

この廟のことも含めて旅行記に書いた。帰国して1カ月以上経過した理由についても旅行記に書いた。そして旅行記は本日公開したので、是非ご覧頂きたい。

2024年11月23日

神津島の多幸湾は青と白の世界

友人夫妻が遠方から上京してきたので、私たち夫婦も一緒に4人で伊豆諸島の神津島と大島に行ってきた。写真は神津島の多幸湾で、私が伊豆諸島の中でイチオシの場所だろう。突き抜けるような青い海に、白い砂浜や白い山肌が対照的で実に美しい。この4人の旅を本日旅行記で公開した。東京都心と神津島と伊豆大島を巡った3泊4日の旅になるが、今回の訪問地は私にとっては全て再訪地なので、そこに行った意図、つまりプランニングの裏を書いてみた。

2024年11月17日

懐かしのフォークソング

懐かしのフォークソングを聞きに、小室等とその娘こむろゆいのフォークライブに行ってきた。コンサートは長野県小諸市の小諸ユースホステルというちょっと珍しいところで開かれたもので、小室等の名曲「雨が空から降れば」や木枯し紋次郎の主題歌「誰かが風の中で」など小室等が作った歌を聞いてきた。

その時の様子や、その旅を旅行記に書いて本日公開した。是非とも昔を懐かしんで読んでいただきたい。

2024年11月11日

ウズベキスタンに行ってきた⑥

ウズベキスタンの首都タシケントの地下鉄は中央アジアで最初の地下鉄で、ソ連時代の1977年に開業した。世界の地下鉄の中でもかなり凝った装飾がなされていることで有名だ。かつて地下鉄構内は撮影禁止だったが、2018年から撮影が可能になったという。ウクライナのキーウの地下鉄もそうだが、欧米との戦争を意識して作っているので、機密事項が多かったようだ。

2024年11月03日

タジキスタンに行ってきた②

タジキスタンにある世界遺産「サラズム:原始都市遺跡」は紀元前3~4千年のもので、タジキスタンで初めて世界遺産に登録された。年代的にいうと日本の縄文時代に相当し、石器から土器になり、定住化が始まり、竪穴住居の普及と集落が形成された。この遺跡でも定住化による住居跡がある。ただし遺跡は遺構のみで、住居として復元されていない。そのため遺構の上に大きな屋根を付けて、雨や日射しから遺構を守っている。

2024年10月31日

タジキスタンにいってきた①

中央アジア5カ国と呼ばれる国にはみな○○スタンがついている。今回ウズベクスタンに行ったので隣国のタジキスタンにも行ってきた。ただ、この国は国土のほとんどが山で、シルクロードにもなっていないかったのでとり残された感がある。それは今でも同様らしく、ウズベクスタンに比べて明らかに生活レベルが低い。ただ生活レベルとそこに住む人々の幸福感は違うので、一概に経済力で評価するのは現代日本人的発想かもしれ知れない。写真は街のバザールの内部になる。

2024年10月27日

ウズベキスタンに行ってきた⑤

青の都と呼ばれるサマルカンドには有名なレギスタン広場がある。初めて訪れた誰もが感動して「オオー!」と声を発し、そして写真を撮りまくる。今まで見てきたモスクや廟とはスケールが桁違いで、素晴らしいという一言に尽きる。広場にはマドラサ(神学校)が3棟あり、左側からウルグ・ベク・マドラサ、中央にティリャー・コリーモスク・マドラサ、右側にシェル・ドル・マドラサが建っている。この広場は夜に来ると写真のようにライトアップされ、これがまた素晴らしい。音楽とともに照明が赤や青や黄色に変わる「光と音のショー」が催される。

2024年10月21日

ウズベキスタンに行ってきた④

世界遺産「ブハラの歴史地区」はライトアップされており、目にもまばゆい。マドラサ(神学校)が目の前に広がるり2つの青いドームを背後にしてこの世のものと思えない美しさを放っている。私が見たライトアップの建造物の中でも1位2位を争う美しさで、お勧めのスポットだ。この写真だけでこんなに綺麗なのだから、本物はもっとリアルで荘厳だ。

2024年10月18日

ウズベキスタンに行ってきた③

世界遺産「ヒヴァのイチャン・カラ」は城壁都市で、元は二重城壁だったが現在は内側の城壁だけが残っている。城内にはモスク(イスラムの教会)、マドラサ(神学校)、宮殿、牢獄、造幣所、奴隷市場などあり、都市なので何でも揃っている。どれも素晴らしいイスラム建築で、カメラのシャッターを押しまくる。写真はモスクの中の礼拝所で青いタイルが非常に美しい。

2024年10月13日

ウズベキスタンに行ってきた②

ウズベキスタンは観光に力をいれており、モスクやミナレットはライトアップされており、多くの人々が街に出ている。それは昼間があまりにも暑いことから、自然と夜に活動が多くなるようだ。写真はヒヴァにあるイスラム・ホジャのミナレットで、45mある。昼間とは全く違う顔をして私たちをもてなしてくれる。

2024年10月11日

ウズベキスタンに行ってきた①

中央アジアのウズベキスタンに行ってきた。とはいっても何処にあるかも知らない人も多い。中国とトルコの中間あたりに位置する国で、周辺にあるカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンを含めて中央アジア5か国と呼ばれている。中国とトルコの間ということはシルクロードで有名な世界遺産が多くある。写真はヒヴァのオアシス都市の「イチャン・カラ」で、城壁都市として有名な街になる。

2024年10月09日

甑島に行ってきた

鹿児島県の東にある甑島(こしきしま)に行ってきた。鹿児島県薩摩川内市から船に乗って約70分、直線距離では25kmくらいなので、比較的近い。自然がいっぱい残っていて、美味いものをたっぷり食べて来た。甑島と一括りで扱うが、実は3つの有人島(上甑島、中甑島、下甑島)と多数の無人島からなる列島で、3島合わせた人口は約4600人になる。

本日、その甑島の旅行記を公開したので、詳しくそちらで。

2024年09月30日

群馬の古墳に行ってきた

高崎市内に保渡田古墳群があり、ここには「八幡塚古墳」と「井出二子山古墳」という大きな古墳がある。どちらも墳丘の長さが100m以上ある立派な前方後円墳で、周濠(外堀)を入れるとかなり大きい。八幡塚古墳は整備されており、崩れないように石で覆われている。榛名山の噴火の火山灰によって遺構がそのまま残っており、周囲に置かれていた埴輪や土器もそのまま大量に出土したので、埴輪などを周りに置いて古墳完成当時を再現している。

本日、この旅行記を公開した。さらに日帰り旅の旅行記2作も公開したので、3作同時公開になる。安・近・短の旅の参考になるとので、是非御覧ください。

2024年09月29日

2つの国宝

下の写真は国宝が2つ写っている。ひとつは噴水、もうひとつは噴水の背後にある建物になる。この建物は東京赤坂にある迎賓館で、噴水はその主庭にある。どちらも別々に国宝指定されている。先日、この施設を見学に行って私が写真を撮ったもので、その素晴らしさに感動した。この他に和風別館もあり、こちらも凄い一言に尽きる。全て含めた入場料2000円は格安に感じられた。

2024年09月21日

南房総の海鮮丼

南房総に行ったきた。私は知らなかったが、千葉県は伊勢海老とアワビの水揚げが日本で2番目に多い県で、特に南房総が良く獲れる。そんなわけでこの2大海産物がのった豪華海鮮丼を食べてきた。

2024年09月19日

JICA横浜のレストラン

JICA(国際協力機構)横浜のレストランは一般人も入ることができる。横浜のみなとみらい地区にあって、赤レンガ倉庫を見渡せ、サークルウォークのそばにある。利用者は外国人が多いので世界各国の料理がそろっており、比較的安価で食べることができる。アルコール類も置いてあり、昼間から飲むことができるのも公営施設としては珍しい。写真はその時に食べたインドネシア料理のイカンリチャりチャ780円、ビールもインドネシアのビンタン730円だった。味も雰囲気も良いのでまた行きたい。

2024年09月11日

醤油かつ丼

群馬県渋川市のゴルフ場、しぶかわカントリーの昼食で醤油かつ丼を食べてきた。何でもこのゴルフ場の名物料理と言うことだが、群馬県といえばソースかつ丼が有名で、群馬県のゴルフ場ではソースかつ丼は多いが、醬油かつ丼とは、実に珍しい。醤油かつ丼はソースかつ丼のソースの代わりに醬油にしたもので、食感も味も卵でとじたかつ丼よりもソースかつ丼に近い。食べやすくて、結構美味い。ちなみに醬油かつ丼は福井や名古屋などが有名らしいが、歴史は浅く、最近出てきたものらしい。

2024年09月09日

豪華な和食

グルメの旅について講演を行ったが、それに相応しい豪華な和食を春先に食べてきた。場所は表参道の「太月」という料理屋で、ランチだが11000円と結構な値段だった。しかしその価値は充分にあった。まずは出汁汁のテイスティングから始まり、その出汁汁を使った各種料理が出てきたが、さすがに美味い。その料理の写真が以下になり、鯛飯は炊きあがったものをほぐして器に盛り付けたものになっている。

たまにはこのような豪華料理屋に行くのもアリだろう。

2024年09月05日

リモート講演会

先日、私が勤めていた会社のOB会でリモート講演会を行った。テーマはグルメ旅と日帰り旅として、参加者は約40人、時間が1時間と今までのものに比較して短いので見やすかったようだ。グルメの旅は、そのテーマが膨大で、当初はどうするか考え込んだが、日本食にそれも地域の名産にフォーカスした。日帰り旅は今後も拡大しそうで今回取り上げて正解だったようだ。

尚、このリモート講演会を観たい方は、当研究所にメール( mail@tabinotikara.com )して下さい。

2024年09月03日

月島で、もんじゃ焼き②

もんじゃ焼きは店の人が焼いてくれる。カチャカチャと鉄板を叩きながら焼いていく店員のヘラさばきのパフォーマンスがなかなか見応えがある。それは単なるパフォーマンスではなく、鉄板の上で土手になったキャベツと水分の多い生地を混ぜながらキャベツを細かく刻んでいる。このあたりの妙技が日本人観光客のみならず外国人観光客に受けるのだろう。

そして本日、この旅行記を公開したので、是非ご覧いただきたい。

2024年08月31日

トマトの収穫

夏の信州にトマトの収穫に行ってきた。生活クラブ生協が主催した労働としてのトマトジュース用の完熟トマトの収穫イベントで、私にとってはこれで4回目になる。そのイベントも年々変化しており、毎回色々なことがあり、面白い。過去の旅行記に追記して公開したのでそちらもご覧いただきたい。写真の上半分の雑草のような草むらがトマト畑で、下半分は収穫した完熟トマトになる。

2024年08月26日

月島で、もんじゃ焼き

東京都中央区の月島に行って、もんじゃ焼きを食べてきた。月島は「もんじゃストリート」と呼ばれる通りがあって、70軒以上のもんじゃ焼き屋が軒を連ねている。かつては風情ある街並みだったのだろうが、タワーマンションが出来てビル街になっており、店はビルの中に入っている。もんじゃ焼き屋をハシゴして食べてきたが、観光客相手の商売なのだろうか、結構な値段になっている。それでも旨いから充分に満足いく食べ歩きになった。東京都内でこんなストリートがあって、名物を食べらることができることを発見して、その味以上に満足感がある日帰り旅になった。写真は夕方のもんじゃストリートで、夕日を浴びて金色に輝くタワーマンションともんじゃストリートとの対比が面白い。

 

2024年08月21日

千代ヶ崎砲台跡

浦賀の千代ケ崎は東京湾の入口という戦略的要衝なので、幕末から砲台が築かれていた。ただ江戸時代は砲台ではなく台場と呼ばれていたので、東京のお台場はその名残になっている。さて千代ケ崎砲台跡は、28cm榴弾砲を発射する大砲を据える砲座が置かれた大きな穴だけが残っている。砲台2基が対をなして、それが3つあって合計6基の砲台が縦一列に並んでいたことになる。それらがレンガ造りの地下道で繋がっている。地下道は明治時代の面影を残しながらも神秘的で、ミステリーやアクション映画の撮影に使われそうな雰囲気がある。同じレンガ造りでもレンガドックとはまた一味違う趣がある。

2024年08月15日

浦賀のレンガドック

浦賀駅前から歩いてすぐの場所に「浦賀ドック」があり、その中に長さ180m、幅26m、深さ11mのレンガでできたレンガドックがある。1899年(明治32年)に建造されてから2003年まで稼働していたという。100年以上稼働してきたレンガドッグは、2021年に横須賀市に無償供与された。このようなレンガ造りのドックが現存するのは世界的にも珍しいという。

2024年08月09日

佐渡金山

先日開催されたユネスコの世界遺産委員会で佐渡金山が世界遺産に登録された。日本としては26番目の登録になる。私は約40年前に訪れたことがあり、当時の写真を探していたら炭鉱の様子を人形を使って再現したものが出てきた。これは最近の報道で使われている写真によく似ている。つまり40年経っても変わっていない。そしてもう1枚の写真は当時一緒に行ったメンバーと獲ったもので、一番右にいるサングラスの男が当時の私になる。こちらは40年の歳月を物語っている

2024年08月01日

草津温泉に籠る

万病に効くという草津温泉に湯治のように逗留して執筆作業をしてきた。草津温泉は標高1200mの高地にあるのでこの猛暑の中でも涼しくて過ごし易いので避暑も兼ねての逗留だったので、快適に過ごすことができた。部屋に籠っているだけでなく、気分転換に草津の中心の湯畑に足を運ぶこともあって、ちょうど神社の祭りをしていたのが、下の写真になる。本日、その草津逗留の旅行記「草津温泉に籠る2024」を公開した。

2024年07月30日

本の出版

本を出版した。出版社からの依頼ではないので、いわゆる自費出版なのだが、昔のように何十万円というお金がかからない。いわゆるオンデマンド印刷なので、注文が入った冊数だけを印刷するので初期費用は格安で済む。逆に1冊あたりの価格は多少高い。

ISBN(国際的な本の識別番号)がつくので、市中の本屋でもこのISBN番号 9784815043704 を告げれば買うことができる。もちろん「植木圭二 本」と検索すれば、アマゾンや楽天でも出てくるので便利なものだ。尚、書名や表紙は以下のようになっている。

2024年07月22日

北海道ラーメン

昨日、北海道のゴルフの旅行記を公開したが、その旅行記は写真が1枚も載せていなかった。それはある意図を持ってそうしたのだが、本当はこの1枚を載せるかを迷っていた。それが札幌ラーメンの「けやき」本店の味噌ラーメンの写真で、これを見ているだけで美味さが伝わって来る。豚鶏出汁の濃厚な味噌スープに中細のちぢれ麺が絡み、シャキシャキした白髪ネギと炒めた野菜がマッチしており、実にいい味に仕上がっていた。

2024年07月21日

江差追分で有名な港町

奥尻島に渡る北海道側の港町が江差で、江差追分で有名な町である。古い街並みが保存されており、旧中村家住宅や江差町会所会館があって、江戸時代の古き良き時代の雰囲気を感じさせてくれる。ニシン漁と北前船による海上交易で栄えた当時の様子が思い出される。江差はかつてJRの江刺線があったが、今は廃線になってアクセスは良くないが、奥尻島とセットで楽しむことがおすすめだ。

2024年07月20日

奥尻島の海岸

奥尻島の北海道側の東海岸は人が多く住んでいて役所やフェリーターミナルもあるが、反対側の西海岸は切り立っており海岸沿いには大きな奇岩が多く見られる。この付近に温泉施設もあって、第二次世界大戦末期のドタバタで現在の北方領土が旧ソ連軍に占領された時に択捉島から逃げてきた人たちがこの地に温泉を掘って開拓したという。私は見たこともないが、択捉島の海岸もこんな感じなのだろうか。

2024年07月15日

奥尻島は海の幸

奥尻島で泊まった宿「トラベルハウス思い出」は秋篠宮夫妻が宿泊したということで、辺鄙な(失礼)島にあっては立派な宿だ。そして夕食に出てきた料理が凄い。ウニ、ヒラメの刺身、みずだこ、タナゴの焼き魚、焼きイカ、ホヤとナマコもある。もちろん島内でとれた新鮮なものばかりだ。ウニについては事前に電話して宿の女将は「奥尻は何と言ってもウニですからね、ただウニのシーズンは7月からなので6月はちょっと難しいかも・・・」と言っていた。しかし嬉しいことに女将が何とかしてくれたようだ。

2024年07月13日

奥尻島はミニ北海道

北海道は自然豊かで美味しいものたくさん獲れるというイメージがある。その北海道のイメージをそもまま小さくした島が奥尻島だと言ってもいいかもしれない。写真は奥尻島の北端の賽の河原という場所で山があって、海があって、いかにも海産物が獲れそうな雰囲気がする。

2024年07月11日

奥尻島に行ってきた

北海道の西にある奥尻島に行ってきた。この島は1993年の北海道南西沖地震とその津波の被害で有名になった。もちろん今は復興している。江差町からフェリーで約2時間、フェリーが着いた港から漁港越しに観光名所「鍋釣岩」が見える。この岩は奥尻のポスターには必ず出てくるもので、意外に大きな岩で夜間のライトアップ設備もある。奥尻縞の人口は2236人、卵型をした島一周は約65kmという結構大きな島で、自然を満喫できる。

2024年07月09日

焼尻にいる羊たち

焼尻には羊が放牧されている。その昔、漁業の不漁対策が発端でサフォークという羊100頭をオーストラリアから輸入した。その後サフォーク種純潔生産基地北海道第1号の指定を受け、今では島の貴重な観光資源になっている。このサフォークの肉が希少で美味いという事で、大変人気があり滅多に食べることができないらしい。それにしても実にのどかな景色を醸し出してくれる。

2024年07月08日

焼尻島にわたる

天売島のすぐ隣、およそ4km離れた東の沖に焼尻島がある。この2島はほぼ同サイズで、一周約12km、人口は天売が258人、焼尻が171人と非常に小さい。写真は焼尻島から天売島を見たもので、最高標高184mの天売島の上の方は雲に隠れている。

2024年07月04日

北海道の天売島

北海道の天売島に行ってきた。天売島は札幌と稚内のほぼ中間点にある羽幌町の沖合い約28kmにある島で、海鳥の楽園とも呼ばれている。絶滅危惧種のオロロン鳥が日本で唯一生息する場所で、多くの海鳥がいたが、残念ながらオロロン鳥には出会えなかった。写真は黒崎海岸で見たウミネコたちで、ここだけで約1万羽以上いる。

尚、この天売島、隣の焼尻島、そして奥尻島に行った旅行記を本日公開した。

2024年06月29日

日御碕灯台

太平洋の足摺岬から日本横断自動車旅の終点は出雲大社の先にある日本海の日御碕になる。この灯台は日本一高い灯台で、塔の高さは44.6m、光の到達距離は約39kmにもなる。初点灯は明治36年(1903年)なので121年前から点灯している。私は初めてこの灯台を見たが、実にその高さに驚いてしまった。

2024年06月27日

竹内まりあの実家の老舗旅館に泊まってきた

出雲大社の勢溜の大鳥居の直ぐ近くに老舗旅館「竹野屋」があり、この宿は“歌手 竹内まりあ”の実家になる。私はいつかこの宿に泊まろうと考えていたが、なかなかその機会がなかった。そして今回は絶好のチャンスで運よく予約もとれた。宿の玄関とロビー、フロントは昔からの古い建物で、その奥に新しい建物が繋がっている。私が泊った部屋は10 畳の和室に新しい畳が敷かれており、窓際には上品なソファが置かれている。新しい建物には宿泊する施設が全て揃っており、大浴場やレストランがあって食事をしながら見事な中庭を楽しむことができる。絶品の料理を食べながら竹内まりあの音楽が流れているからファンにはたまらないだろう。

2024年06月16日

しまなみ海道

足摺岬から四国を横断してしまなみ海道にやってくる。写真は今治市側にある「来島海峡大橋」で、この橋は第一大橋から第三大橋の3つの橋から出来ていて、しまなみ海道最大の橋になる。海面からの高さが65mもあるのは、瀬戸内海は大型船が通るからだ。しかしここからはそんなに高く感じないのは長さが4km以上もあるからだ。

2024年06月13日

足摺岬

四国の足摺岬に久しぶりに行ってきた。青い海と青い空に白い波と白い灯台いう絶好の組み合わせにうっとりしそうな景色が広がっている。この岬からレンタカーを使って瀬戸内海のしまなみ海道を渡り、日本海側の出雲にある日御碕に行く旅をしてきた。

2024年06月12日

四万十川の河口付近のオブジェ

四万十川に行ってきた。河口付近の下田漁港の上の高台に巨大なオブジェがあった。最初は日時計かと思ったが、違うらしい。オブジェは鋭い槍のようになっており、その先端は北極星を指しているというから、宇宙を感じさせてくれる。

この四万十川を皮切りに四国の足摺岬から山陰の日御碕に行く旅をしてきた。本日その旅行記と、日光鬼怒川の電車旅の旅行記2作を公開した。

2024年06月11日

SLに乗ってきた

日光鬼怒川の東武鉄道の売りはSL(蒸気機関車)で、下今市から東武日光、あるいは下今市から鬼怒川温泉までSLが客車を引くSL列車が運行している。時速20km位なので自転車よりもやや速い程度で、旅情を感じながら車窓から沿線の景色をゆっくり楽しめる。専門のアテンダントが乗車しており、写真撮影などのサービスもしてくれる。

2024年06月10日

スペーシアX

東武鉄道のスペーシアXに乗って来た。この列車は昨年の夏にデビューした豪華列車で浅草から日光、鬼怒川を往復している。写真はコックピットスイートの席で7人掛けのソファ席で、7人しか入れない個室になっている。この他に生ビールサーバーのあるコックピットラウンジもあって、とにかく素晴らしい。お勧め列車だが、1カ月前から予約できるが、紹介したコックピット席の予約はなかなかとれないので要注意だ。

2024年06月04日

富山空港が面白い!

北陸に行った帰りに使った富山空港が面白い。その理由は、何と、滑走路が神通川の河川敷に造られている。そして滑走路以外のターミナルビルや管制塔は河川敷ではなく堤防の外にある。そんな飛行場を私は見たことも聞いたこともない。乗客は長いボーディングブリッジを歩き、堤防を越えて河川敷に駐機してある飛行機に乗り込み。知らなければ見過ごしてしまうかもしれないが、これは是非覚えておいて体験してもらいたい。

2024年05月26日

金箔アイスクリーム

北陸の金沢市の「ひがし茶屋街」は風情ある街並みが日本文化の心根の優しさのようなものを感じさせてくれる。しかしそんな中、観光客が群がっている店がある。店内で面白いものを売っている。それは金箔アイスクリームで、金価格高騰の昨今においては信じがたいが、アイスクリームに金箔を巻いたものを981円で販売している。せっかくなので買って食べる。金属を舐めたようなあの味がする。

尚、この北陸地方に行った旅行記を本日公開した。

2024年05月20日

カイコ

先日、横浜の中華料理屋で珍味を食べてきた。写真で私が食べているのが「カイコ」、絹を作るあの幼虫のサナギになる。味はというと、味付けの妙で醤油味で食べ易い。食感は外が焼いてあるのでパリッとしていて、中は柔らかいあんこのよう。かいこと聞かないで、海苔で包んで食べれば分からないだろう。そしてこれは美味いと言って食べる気がする。

2024年05月16日

与那国島に行ってきた②

与那国島と言えば「Dr.コトー診療所」だろう。ドラマのオープンセットが入場料300円で公開されている。もちろん中に入って内部をくまなく見ることもできる。診療所なので待合室や受付、診察室もある。全くドラマと同じ光景がそこにある。このセットは2003年から撮影を始め、当時約2000万円かけて造られた。場所が場所なので鉄筋コンクリートで頑丈な建物で、当然完成当時は真新しかったに違いないが、テレビ局の大道具や美術スタッフが古く見せるために工夫しており、細部にわたってこだわりがある。例えばドラマでは与那国島ではなく志木那島という設定なので、ポスターや掲示物、表彰状に至るまで志木那島になっている。

2024年05月09日

与那国島に行ってきた①

日本最西端の島の与那国島に行ってきた。日本には最西端の他に、当然のように最南端、最北端、最東端があるが、一般の観光客が行けるところは最西端の与那国島のみで、他は一般人は行けない。最西端には灯台と最西端の碑があり、遠く台湾を見ることができる。遠くと言っても111kmしかないので比較的大きく見える。残念ながら私が行った時は雲で見えなかったが、最西端の碑の近くにある展望台の壁にペイントされているのは下の写真になる。台湾は日本の富士山よりも高い玉山(新高山)があり山国なので大きく見えるのだろう。


2024年05月01日

南大東島に行ってきた

北大東島から8km南に南大東島がある。北大東島よりも少し大きく、人口も多い1300人。気象情報でよくこの島の名前は聞くことがあると思うが、それ以外は知識がないのが一般の人だろう。この島もまた神秘の島で実に面白い。写真は島にある鍾乳洞で、人が住んでまだ100年ちょっとで、この鍾乳洞はあまり人が入っていない。もう一枚の写真は砂浜がないので子供たちが泳ぐために海岸を利用した海岸プールになっている。現在この旅行記を執筆中で、もう少し待って欲しい。書くことがいっぱいある。

2024年04月23日

北大東島に行ってきた

沖縄本島からほぼ東に360kmにある離れ小島の北大東島に行ってきた。台風情報等で頻繁に名前を聞くのは南大東島だが、その少し北に北大東島がある。人口は550人、島一周は約13kmと小さな島で、那覇からプロペラ機で約1時間で到着する。自然に囲まれた絶海の孤島は全くの非日常で、観光産業ではなくサトウキビの生産が主要産業になっている。

2024年04月22日

沖縄本島に行ってきた

沖縄に行ってきた。といっても沖縄本島はかなりの回数行っているので、私が未踏の沖縄本島の最北端の辺戸岬までレンタカーを借りて行ってきた。断崖と石灰岩、花と青い海、全く予想していない情景が広がっており感激してしまった。私の持論の「期待と落胆、偶然と感動」になる。期待していくと落胆が多いが、その反対にあまり期待せずに、偶然に出会う感動は何倍にも増幅される。最北端のこの地はそんな印象の場所だ。日本人観光客も少なく、欧米人が多く来ており、外国のような気分になるのも面白い。

2024年04月15日

台湾に行ってきた⑦

4月3日朝に起きた台湾東部の大地震で甚大な被害があった太魯閣(タロコ)国立公園に約1カ月前の台湾旅行で行ってきた。そのため地震のニュースは私にとって実に身近なものに感じている。この地域は断崖絶壁の海岸線と山の中の渓谷が売りの国立公園で、写真のように地震があれば崩落するのは目に見えていることは言うまでもない。亡くなられた方のご冥福を祈り、早い復旧を願うばかりだ。

2024年04月05日

台湾に行ってきた⑥

台湾南部の「知本温泉」に行ってきた。この温泉は日本統治時代に開発された温泉ということで知本という日本名がついている。比較的大きく広い温泉街であまりごちゃごちゃしていない。泊まったホテルの玄関近くに源泉の吹き出し口があって103℃と書かれた源泉が湧き出て温泉玉子を作っており日本的な雰囲気が伝わってくる。ホテルには大浴場があるが、水着を着て入る混浴大浴場になっている。外国人それも中国人は同性の家族でもあまり裸を見せないというから、これが一般的な台湾のホテルの入浴スタイルなのだろう。pH が8.1というアルカリ泉なのでかなりヌルヌルしている。温度の違う大きな浴槽が2つと子供用の浅い浴槽があり、打たせ湯やサウナもある。

2024年03月30日

台湾に行ってきた⑤

台南市の安平地区のランタンフェスティバルに行ってきた。ランタンフェスティバルは台湾最大の光の祭典で開催場所は毎年異なる。今年は台南市誕生から400年という節目の年なので、台南市で開催された。私はランタンを飛ばすものかと思っていたが、ランタンは飛ばさずに夜空のドローンショーで、数十か数百のドローンをLEDで色を変え、編隊飛行でショーを演出する。夜空の空間に人物や建物、文字が浮かび上がる。その下から無数のレーザー光線の照射と盛大な花火が打ち上げられる。

2024年03月25日

台湾にいってきた④

台北から南に345km、台湾の新幹線「台湾高速鉄道」に約2時間乗って南部の高雄まで乗った。台湾高速鉄道、通称高鉄は2007年開業した。フランス・ドイツの欧州連合との共同事業だったが、車両は日本製なので2列3列の座席配置はまるで日本の新幹線に乗っているようで、ワゴン販売の売り子が飲み物や弁当を売りに来る光景も日本的だ。最近の日本の新幹線ではワゴン販売を終了している列車が増えており、むしろ懐かしい感じさえする。

2024年03月22日

三陸鉄道でリトアニアのビール

ちょっと前のブログでも書いたが、JR東日本たびキュンパスを利用して三陸鉄道に乗ってきた。車内でバルト3国のリトアニアのビールを飲んできた。なぜリトアニアなのかというと、三陸鉄道の久慈駅のある久慈市はリトアニアのクライペダ市と姉妹都市になっているからその絡みだろう。1本550円したが、暖かい車内で雪景色の車窓を見て飲む冷えたビールは至福の時になった。

尚、この日帰り鉄道旅行の旅行記「青森・岩手日帰り旅2024」を今回公開した。

2024年03月15日

台湾に行ってきた③

十分のあとは台湾で有名な観光地の九分、映画「千と千尋の神隠し」のモデルと言われているが、その真意はともかくも、レトロな雰囲気がする老街でいつ行ってもたくさん観光客がいる。今回の旅でも行ったが、あいにくの雨で雨具や傘をさしての観光になったが、それでも観光客でごった返していた。

2024年03月13日

台湾に行ってきた②

台湾の観光地としては千と千尋の神隠しのモデルになったと言われる九分が有名だが、その近くに十分がある。十分の魅力は電車のレールの両脇に並んだ商店街で、ここからランタンを上げるのが恒例のイベントになっている。私たちも例にもれずに1m立法ほどの大きな紙のランランに願い事を書いてランタンを飛ばした。ランタンは熱気球の原理で火を燃やして上げるが、燃料の油紙が燃え尽きて落ちるので問題ない。いや昔は問題あったが、改良されたようだ。是非とも十分に行ったら、挑戦して欲しい。

2024年03月11日

盛岡でジンギスカン鍋

JR東日本が期間限定で発売したキュンパスで青森、岩手に行ってきた。この切符はJR東日本の全ての列車が1日乗り放題で1万円という魅力的な切符で多くの人が使っていた。この旅の最後の食事として盛岡でジンギスカン鍋をつついてきた。このジンギスカン鍋の店は札幌に1号店がある「羊屋 えびす」で、味は抜群に美味かった。特にラムのヒレ肉とラムの生肩ロースは絶品で、同行したメンバーたちも感激していた。通常のジンギスカン鍋は野菜の上において焼く、いわゆる蒸し焼きにせずに焼くもので、これも珍しい。簡単に言えば焼き目を付けるだけで充分に美味しく食べられる。タレも美味で、このタレの最後に昆布だしの出し汁で薄めて飲むのもなかなかいける。

2024年03月10日

台湾に行ってきた①

台湾に行ってきた。台湾の正月がイベントは約1カ月続き、そのラストタイムに間に合ったという時期になる。写真は台北の夜市で、まだ正月気分が抜けていない。夜市は活気溢れ、人出も多い。臭いも強烈で、様々な出店が出ている。食べ物の店は揚げ物などの油ものが多く、なかなか私の胃袋には強烈だ。

2024年03月06日

島に行く理由

先日行った講演のテーマで「島の旅」があって、その中で「私が島の旅を好む理由」というものを紹介した。その時のスライドが以下のものになる。読んでもらえれば直ぐにわかるが、時間だけ説明すると、いわゆる島時間というものでのんびりしていることと、本土での流行や都市化開発が遅いので古いもの(祭事や風習、言葉など)が残っていること言っている。食べ物も自然も実に良い。とにかく島は面白い。

2024年02月20日

講演会は盛況に終了

昨日開催された講演会「旅のススメ講座」は無事に盛況のうちに終了しました。参加は近所の方々が主体でしたが、何と群馬県からこの講演を聴くために来場された方や、私が勤めていた会社の同僚も来ていただきました。私にとってはサプライズの講演になりました。来て下さった方々には感謝感謝です。ありがとうございました。

 

2024年02月18日

極寒キャンプ

今年も恒例の極寒キャンプに行ってきた。場所は富士山の西側の「ふもとっぱらキャンプ場」で最近芸能人キャンパー等が利用して人気を集めている。極寒キャンプといっても今回のキャンプは比較的暖かく、氷点下にならなかった。従って雪もなく、やや拍子抜けだった。それでも富士山を拝みながらのキャンプはやはり最高だろう。トイレも綺麗であらゆる設備が非常に良く整備されているキャンプ場なので、季節を選べばビギナーにもお勧めの場所である。

2024年02月08日

大島名物のべっこう寿司

伊豆大島の名物べっこう寿司を食べてきた。べっこう寿司とは白身魚を青唐辛子でといた醤油タレに漬けてにぎったもので、その色からそう呼ばれている。ピリ辛で実に美味い。なぜ青唐辛子かというと、大島ではワサビが育たないので青唐辛子で代用した。島でワサビが採れないのは水の問題だろう。そしてこの時の寿司ネタは金目鯛で、これも美味い。金目鯛もこの近海で多く獲れるから、やはり“地のモノ”で新鮮だ。

2024年02月01日

伊豆7島を一度に見る

伊豆大島に行ってきた。その大島にある標高758mの三原山に登ると伊豆諸島にある有人島9島のうち、7島を同時に見ることができる。写真の右から利島、神津島、その下の低いのが式根島、そして新島、ぐっと左にいって三宅島、その背後に御蔵島も見える。そして手前の大地が大島の三原山になっている。伊豆諸島は9島の有人島があるのに、なぜ伊豆7島と呼ぶのか、をテーマに旅行記「伊豆諸島の旅2021」と「伊豆諸島の旅Ⅱ2022」を書いたが、その内容にも大きく影響しそうだ。

2024年01月27日

三崎のマグロ

神奈川県の三浦半島の先端の三崎港付近の食堂「まぐろ食堂 七兵衛丸」でマグロ料理を食べてきた。実に旨いマグロに舌鼓を打って、美味しくいただいた。さすがに本場のマグロは一味違い、さらにリーズナブルな値段なのも素晴しい。ただし行く場合は混んでいるので時間帯を考えた方がいい。

2024年01月10日

VIVANTを観た

先年の人気テレビドラマの「VIVANT(ビヴァン)」を正月に観た。実は昨年モンゴルに行った時にこのドラマのことを知った。このドラマはモンゴルに隣接する仮想的な国を舞台にしており、実際のロケは全てモンゴルで行われていた。ドラマの評価は非常に高く、その内容に触れることはここではしないが、映し出される映像が再びモンゴルに行きたくなるようなものだった。是非このドラマを観てモンゴル旅行をお勧めしたい。

写真の上はモンゴルの平原で手前の左にゲルがいくつか見える。下の写真はモンゴルの国会議事堂で、建物の前の広場で多くのシーンが撮られていた。

2024年01月07日

先取り初詣

12月30日は「先取り初詣」に行く日と決めている。それは翌々日に迎える正月の飾り付けも終わった寺社仏閣を参拝客が少ない30日に行って参拝するもので、ここ10年くらい私は友人と続けている。今年は三浦半島を中心に6つの寺社仏閣を巡ってきた。この地域は関東でも古くから栄えた場所なので、由緒ある寺社仏閣があり、別途訪れたい気分にもなった。写真はその中の三浦市の港近くにある海南神社で、いかにもこの地方という大きなマグロの頭のオブジェが置いてあった。

2023年12月31日

海中カルデラ火山の景色

隠岐の島の島前はカルデラ火山の上の部分だけが島となって海上に出ている。その景色は圧巻だ。私は同様な海底カルデラ火山をギリシャのサントリーニ島で見ているが、自然の造形美としてはサントリーニ島よりも素晴しいと感じる。ただサントリーニ島は急峻な崖になっているので家はその崖の上にある。島前の場合はなだらかで海岸にわずかな集落があるだけだ。

2023年12月25日

隠岐の島はカルデラ火山

隠岐の島は4つの有人島の集合体で、一つの島ではない。そのうち本土に近い3島が島前、遠い1島が島後と呼ばれている。そして島前の3島は見るからにカルデラ火山を構成している世界でも珍しい島になっている。下の地図は島前の3島で、西ノ島が外輪山と中央の火山が合体して島になっている。当然のように絶好に港で、魚の宝庫になっている。

2023年12月22日

隠岐の島といえば・・・

隠岐の島といえば、後鳥羽天皇(当時は上皇)が流された島として有名である。後鳥羽天皇は新古今和歌集の編纂でも知られる歌人だが、武人でもあった。鎌倉幕府に逆らい兵を挙げて敗北し、1221年に流された。そして19年後にこの島でその生涯を終えた。隠岐の島諸島の中ノ島に渡り、後鳥羽天皇を祀る「隠岐神社」を訪れた。

尚、この隠岐の島の旅行記を本日は公開したので、是非ご覧いただきたい。

2023年12月16日

隠岐の島初上陸!

日本海に浮かぶ島根県の隠岐の島に行ってきた。隠岐の島とは4つの有人島と多数の無人島からなる諸島なので、隠岐の島という島はない。日本海の荒波で造られた海岸などの自然と歴史の島で、実に面白かった。現在旅行記を執筆中で、乞うご期待を。写真は西ノ島の「赤尾展望所」からの風景になる。

2023年12月10日

今年も食べてきた松葉ガニ!

今年も山陰海岸、岩美町に行って松葉ガニを食べてきた。昨年は最後のカニ雑炊までたどり着けなく、途中でリタイヤしたが、今年は頑張ってカニ雑炊まで食べてきた。宿の人に聞くと、今年の水揚げはまずまずとのことだが、値段は昨年同様だった。ただ気持ち少なくなったような気がする。しかしそれでもボリューム満点で、昼食抜きでようやく食べきった。

2023年12月05日

まぼろしの草軽電鉄

かつて群馬県の草津温泉と長野県の軽井沢は「草軽電気鉄道」で結ばれていた。残念ながら1962年に廃線になり、線路や駅舎は撤去され、ほとんどその跡は残っていない。それでも私は友人と廃線後60年以上経った草軽電鉄の跡を歩いて来た。まぼろしの草軽電鉄は、まだ多少の痕跡を残していた。写真は柳川橋梁跡で草軽電鉄では最も高い橋梁だった。尚、この旅行記は先日公開している。

2023年11月25日

郷土料理「むしり」とは

長野県佐久市に伝わる郷土料理「むしり」を食べてきた。下の写真が偶然見つけた「むしり」のパンフレットで、これを見て「みよしや」に行って実際に食べてきた。「むしり」はボリュームたっぷりで実に旨い。隠れた郷土料理、お勧めの逸品と言っていいだろう。この食レポも含めて旅行記「信州上州グルメの旅2023」を本日公開した。そして同時に「草軽電鉄歩き旅2023」も公開しており、こちらの方も必見だ。

2023年11月22日

大モンゴル帝国

モンゴルと言えば、チンギスハーンだろう。大モンゴル帝国を築いた人物で知らない人はいないだろう。正確にはチンギスハーンが築いた大モンゴル帝国ば息子や孫がさらに大きくした。日本にも攻めて来たので東は朝鮮半島、西は東ヨーロッパ諸国、北はシベリア、南はインド北部になる。16世紀にはムガール帝国がインドを統一し、実は「ムガール」とは「モンゴル」がなまった言葉なので、インド全土もモンゴル人が治めたことになる。その礎を築いたチンギスハーンの像はモンゴルの至る所にあるが、写真の騎馬像が最も大きい。馬とチンギスハーンを合わせた高さは40mもある。台座の部分が2階建ての博物館で、台座も合わせると50mは超えている。

2023年11月15日

モンゴルといえば

モンゴルと言えばゲルだろう。写真のゲルは実際に住民が生活をしているゲルで、昼間に太陽光パネルで発電した電気をゲル内にバッテリーに充電して夜間に使っている。私は栃木県の那須高原にあるゲル施設に泊まったことがあるが、観光用なので生活感がなかった。このゲルは実際に住んでいるので中を見せてもらったら、生活感たっぷりで非常に興味深かった。、

2023年11月11日

モンゴル民族衣装

モンゴルの民族衣装を着せてもらえるレストランがあって、私と妻も民族衣装を着てみた。日本人とよく似ているモンゴル人なので、民族衣装もそれなりにしっくりいってる感じがする。日本にやってきて着物や浴衣を着る外国人の気持ちが分かったような気分になる。から面白い。

そして本日、モンゴルの旅行記を公開したので、是非ご覧いただきたい。

2023年11月07日

モンゴルは面白い

今週、モンゴルに行ってきた。3泊4日の短い旅だったが、なかなか面白い国で、いい経験になった。まずはモンゴルのイメージを感じるのがこの写真で、バスの中から撮った。砂漠のような平原、緑のない山、真っ直ぐな道、放牧の羊たちだ。羊たちはインドにもいたが、寒い冬を越すのに太っており毛皮も厚い。

2023年10月28日

インドは喧噪の世界

インドの空港に降りて、最初に感じたことは先ず暑さだ。そして街に出るとゴミゴミした様子とうるさい騒音で、喧噪の世界がまっている。バス、乗用車、3輪タクシー、オートバイ、人間が入り交じって道路らしきところを通行している。タージマハルは衝撃的だったが、この喧噪のインドも衝撃的だ。

本日、インドの旅行記を公開したので、まずは旅行記を読んで欲しい。

2023年10月21日

タージマハルの門

タージマハルは素晴らしいの一語に尽きる。廟つまり墓なのにまずその大きさに驚く。タージマハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地にある。南側約1/4の部分に前庭があり、この前庭だけでも結構広い。その前庭を突き進んで行くと大きな門がある。この門だけでも第一級の建造物で、この門から撮ったタージマハルの写真が良く紹介される。この写真はその門の外観で、前庭から撮ったものだ。

2023年10月13日

インドは凄い!

先週はイン旅行をしてきた。人口は世界一の14億人、喧噪の世界、数学やITの国、独自の政治路線、そして歴史と驚きが多い。その歴史的な建造物のナンバーワンがタージマハルだろう。これを見て私は圧倒されてしまった。これは廟、つまり墓だが、墓の概念を完全に超えている。私が今まで見てきた寺院や教会、宮殿、城、廟など人間が造った建造物では最も感度を得たと行っていいだろう。

2023年10月06日

ダイヤモンドプリンセス

先週、ダイヤモンドプリンセスに乗って一週間程クルーズに行ってきた。この船への乗船は2回目で、それは今から4年前、そしてその後にコロナ騒動があってダイヤモンドプリンセスの名前は一躍有名になった。さてそんな騒動を乗り越えて今回の乗船になったが、コロナ対策の末に考え出されたのがメダリオンという仕組みが凄い。一般的にどのクルーズ船でもIDカードを兼ねた船室の鍵と船内の買い物の支払いができるカードが使われているが、今回ダイヤモンドプリンセスでは、それをメダルにした。このメダルが個人の船内での位置情報が分かるようにしており、船内の何処に居るかが分かるようになっている。そのため誰と誰が何処で何時何分に一緒にいたとかも分かるので、接触感染のルートが特定できる仕組みになっている。私は時々妻の居場所を捜すのに利用したが、非常に便利なシステムになっているから、さすがにアメリカ人は転んでもただでは起きないという印象を持った。

2023年09月22日

国民宿舎鵜の岬の料理

国民宿舎鵜の岬の料理は抜群美味い。この宿の料理は4つグレードから選ぶことができるので、今回は最上級のグレードの料理を頼んでみた。とにかく料理の種類が多く、一つひとつが厳選されているというのが特徴だろう。特に刺身と肉については絶品の域に達している。同行した人たちも。こんな美味い料理は食べたことがないとまで言わせてしまうから凄い。この料理にして、2食付きの宿泊料が1万8千円位なので文句の付けようがない。もちろんグレードの一番低い料理でも充分に満足できるレベルだが、この宿に行ったら最高級グレードの料理がお勧めだ。

2023年09月17日

国民宿舎鵜の岬

国民宿舎鵜の岬は33年間国民宿舎人気ナンバーワンの宿で、なかなか予約がとれない。そこに先日行ってきたが、その予約も450回も電話してようやく繋がって予約することができた。通常は空いている日を選んで予約するのが賢い方法だが、今回は日程ありきで絶対にその日に予約しないと行けない事情があってそんなことになった。私はこの宿に何回か泊まっているが、相変わらずの満足度でゆっくりすることが出来た。写真の左が宿泊棟で、右の丸い建物がレストラン棟になっている。部屋はオーシャンビューで太平洋から登る朝日を見ることができる。

2023年09月08日

蔵王のお釜

山形と言えば蔵王、蔵王と言えばお釜が有名だ。関西から来た友人と蔵王温泉に行ったので、ロープウェイを使って蔵王連峰を越えてお釜までトレッキングをしてきた。私は蔵王のお釜には何度も行っているが、トレッキングで行ったのははじめてで、実に良い運動になった。朝の9時に宿を出てお釜に着いたのが昼過ぎ、バスで蔵王温泉まで戻ってきたのが2時頃なので良い運動になった。

2023年09月06日

長野の飯綱高原に行ってきた

長野県の飯縄高原に行ってきた。その理由はコロナでしばらくなかったトマト収穫の援農(援助農業)で、私にとってはこれで3回面になる。トマトの生産者の高齢化で、収穫作業の労働力が不足を、都会の消費者が支援するというイベントになっている。高原だというのに今年の暑さは容赦ないもので、その中での作業は結構つらいものだった。それでも終わった後に温泉で汗を長し、一杯やるのは実に気持ち良い。この様子は旅行記に残しており、本日公開した。写真は飯縄高原のスキー場で、長野オリンピックの競技会場にもなったものである。

2023年09月03日

月山山頂の月山神社参拝

月山は一般的には夏スキーで有名な山だが、信仰の山でも有名で、その頂上には月山神社がある。標高1984mと、かなり高いが、スキー用のリフトが標高1500mまで運んでくれるので高低差約500mの道のりを約3km歩くことになる。1時間40分の苦闘の末に、山頂の月山神社に辿り着く。この神社も神域なので撮影禁止になっており鳥居の前で記念撮影をして祈祷をしてもらった。

2023年08月31日

湯殿山神社

出羽三山の湯殿山神社には大きな18mもある鳥居がある。この鳥居の先に湯殿山神社本宮があるが、この本宮は神域ということで、写真撮影が禁止されている。そのためガイドブックやインターネットにもこの本宮の写真はない。写真だけでなく、詳しく書いた記事も見つからないので、どんなものかも分からない。その本宮を参拝してきたので、先日公開した旅行記にその一端を書いたので、興味ある方は旅行記をどうぞ。

 

2023年08月25日

出羽三山神社の宿坊に泊まる

旅友たちと、修験道の聖地、出羽三山のひとつ羽黒山にある出羽三山神社の宿坊「斎館」に泊まってきた。ここはもともと華蔵院という寺で、元禄時代に作られたというから300年以上経っている。昔は神仏習合だったが、明治の神仏分離の際に神社の一部として残った。山伏が泊まった宿坊として今も残る唯一の建物と言われている。築300年以上の玄関から建物に入り、私たちの泊まる部屋に通される。部屋は広い。それもとんでもなく広い。畳の間が3部屋あって、畳の数を数えると24畳と16畳と16畳で、3部屋が襖で仕切られている。つまり合計56畳もある。ここに7人で泊まるのだから1人当たり8畳ということになる。畳は江戸間ではなく本間サイズなので余計広く感じる。部屋の周りには畳敷きの広い廊下が2方向にあるから解放感抜群で、もはやこれ以上言いようがない。

2023年08月20日

山形の銀山温泉に行ってきた

山形県の大正ロマン溢れる温泉街で有名な銀山温泉に行ってきた。私にとっては2度目の銀山温泉だが、同行者たちにとってははじめてということで、大いに弾けて、楽しんでもらった。写真はスパークリングワインの向こうに見える銀山温泉の夜景だが、私たちが泊まった宿の前にある橋の上から撮ったもので、このスパークリングワインはもちろん、他にビールや日本酒などが飲み放題の宿なので、ついつい酒量が過ぎてしまった。

2023年08月18日

カトマンズの谷④

カトマンズの谷にはヒンズー教と仏教の寺院がある。仏教の寺院の中心にはストゥーパ(仏塔)があり、ネパールのガイドブックなどでよく見かけるブッダアイ(仏陀の目)が施されている。特徴的なその目は、片目が“情け”、片目が“知恵”だと言われている。情けと知恵は、それは人の世を生きていく上で重要なことで、本質かもしれない。

本日、このネパールの旅行記「ネパール紀行2023」を公開した。

2023年08月15日

カトマンズの谷③

カトマンズの谷はお寺ばかりではなく、人もたくさん住んでいる。当然のように経済活動のためには移動が伴う。市民の足は乗り合いバスや乗用車もあるが、ほとんどがオートバイに乗っている。ガイドの話では昔は自転車が多かったと言っていたが、現在はオートバイが主流でその騒音で喧噪の世界になっている。

2023年08月11日

カトマンズの谷②

カトマンズの谷のチャングナラヤンという寺院にやってくる。先住民のニワル族が4世紀に建てたネパールで最も古いヒンドズー教寺院で、装飾が素晴らしい。山の上にあるので景色もよく、のどかなネパールらしさが感じられる趣ある場所になっている。地元の女性たち30人くらいが参拝しており、ヒンズー教徒は色彩豊か、赤は美の象徴というからかなり派手なサリーを身に着けている。境内では彼女たちが踊り始め、私たち日本人客も次々に踊りに加わり、小さな国際親善になる。その時に気が付いたのは、私はヒンズー教の寺院に初めて訪れたということだ。

2023年08月04日

カトマンズの谷①

ネパールに行ってきた。首都カトマンズとその一帯の盆地は、「カトマンズの谷」として1979年に世界遺産登録された。直径20kmほどの谷、盆地だが、昔は3つの王国に別れたいたので3人の王がいて、それぞれ王宮を持っていた。この王宮と寺院などを含めた広場をダルバール広場といって人々の憩いの場や信仰の場になっている。写真はパタン王国のダルバール広場で、もちろん世界遺産の構成資産になっている。

2023年07月30日

エベレスト遊覧飛行

ネパールに行って、エベレストの遊覧飛行をしてきた。写真のように雲海の上にヒマラヤ山脈の山々が頭をだしており、絶景という以外何ものでもない。雲海は高さ5000m位の位置にあり、富士山の山頂でも下になる。さすがにエベレストは標高8848mなので、この雲海からもかなりの部分が頭をだしていることになる。

2023年07月27日

2度目の青ヶ島

八丈島から南へ80kmの青ヶ島に行ってきた。私にとっては2度目の訪問になり、前回は船で渡ったが、今回はヘリコプターで渡った。船では3時間もかかったが、ヘリコプターでは20分で着いてしまうから、改めて文明の利器というものを感じた。しかし翌日の帰りの便が霧で欠航になって、結局船で戻ってきた。何やらうさぎと亀のエピソードのようで良い経験になった。写真はヘリコプターから撮った青ヶ島で二重カルデラの火口はこの反対側なので見えないが、集落が確認できる。尚、この旅行記「御蔵島と青ヶ島2023」を本日公開した。

2023年07月19日

御蔵島に行ってきた

御蔵島(みくらじま)に行ってきた。といっても御蔵島を知っている人は少ない。場所は東京から南へ200kmの太平洋上で、三宅島の南20km、八丈島の北80kmの場所にある。船で竹芝桟橋から7時間30分で行ける。お椀逆さにふせたような島の形で、山の頂上が海上にでたような恰好をしている。最高標高851mの御山が中心にあり、島のほんの一部分に人口約300人の島民が暮らしている。山と海の自然がいっぱいの縞で、逆に言うと自然しかない。私はこの御蔵島を訪問で9島ある伊豆諸島の有人島の全て行ったことになる。

2023年07月16日