「甲斐善光寺」を訪れた。念のため断っておくと、この寺は長野の善光寺の出先の寺ではない。古墳時代末期538年に百済の聖明王から仏像が贈られたことから日本の仏教は始まった。ところが蘇我氏と物部氏の争いの中で、その仏像が池に捨てられた。その捨てられた仏像を「本田善光」という人が見つけて、自分の出身地に持ち帰り寺を建て安置した。その寺が信濃の国にあって、現在の長野の善光寺だ。ところが川中島の戦いで信濃に出陣した武田信玄がこの仏像を持ち帰り、安置するために建てた寺がこの甲斐善光寺だ。そして武田家滅亡により仏像は信濃の善光寺に戻ったが、武田家が滅ぼされなければ甲斐善光寺が本家の善光寺を名乗り、長野の方は信濃善光寺とでも呼ばれていただろう。歴史とは勝者によって作られていく。
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